先行研究・主要なメディアと共に人々の購買行動モデルも変化して来た

・インターネットやSNSが生んだ「検索」「共感」「共有」といった新たな購買行動モデルが主流となっている


問い若者の購買効果に効果的な影響を与える情報源は何か


調査対象大学生から大学院生を対象とした66


調査方法文献購読を行った上で若者を対象としたメディア利用状況と購買意欲・行動に関するWebアンケートを行い、若者にとって効果的な情報源を探る


本論・公式情報でない「他人の評価」が若者の購買意欲に大きな影響を与えている

・商品を買うきっかけや決め手に関しても従来主流ったTVCMなどと比べて、SNSやインターネットの影響が強まっている

・商品購入後の情報共有における面では、若者はメディア利用より直接にコミュニケーションをし受動的に「共有」を行っている

・若者は口頭での情報共有は行うが、メディア上で自らそれを発信することはない

・情報収集の有無と講習後の満足度には関連性がない


結論・若者は公式情報よりもSNSやインターネットで見られる個々人が発信する情報を参考にしている

・使用者による「他人の評価」は参考度が高く、若者の購買行動に効果的な影響を与える情報源の一つである


意義若者の商品購入の動機を情報共有の側面から探る


課題・商品のジャンルごとに分類した購入後の満足度や購入のきっかけ・決め手に関するアンケート調査

・若者が情報発信を自ら行わず受動的であるのはなぜかという疑問の解決


論文を読んで


先行研究 

・集合的興奮が強い環境下だと常識を逸した流言でも拡散されやすい

・流言に対して「無視戦略」「対抗戦略」「否定戦略」で対処を行う事で拡散を抑制しやすくなる。


問い 

ソーシャールネットワーキングサービスにおいて流言の拡散を抑制するにはどのようなアプローチが必要か


調査対象

201896日に発生した北海道東部胆振地震の際に拡散されたSNS(主にツイッター上)の流言


調査方法

北海道胆振地震の際sns上で拡散された流言の内容と時系列に伴う内容の変化、そして信頼性の高いメディア(NHK)がそれを否定し拡散が抑制されるまでの投稿数の推移をグラフでまとめる。


本論




結論

・メディアや自治体などの信頼性の高いメディアが発信した情報は拡散性が高く、流言の抑制に効果的である。

・性格な情報を伝え情報の曖昧さを払拭するためには、情報を随時更新できるデジタルコンテンツが有効である(ラジオ放送の特徴を持つため)


意義

・緊急時の流言の拡散を防ぐ

・流言を、"デマ"の一言で片付けてしまう際に打ち消される流言の中に混じった正確な情報を否定される危険性とその対処法を追求する


課題

・ラインで発生した流言のツイッターへの拡散

・述語のトーンが強い流言とそうでないものの違い

・恐怖感情が強いほど否定的な情報の拡散が迅速である傾向の普遍性について


災害時以外でもSNS上で誤った情報が拡散されてしまう事が頻繁にある。信頼性の高いメディアの情報を待つ事より、一人一人のネットリテラシーを高めていくことが流言のの拡散抑制にいち早く繋がるのではないかと考えた。

社会情報学基礎演習(1)B


2018年11月6日 


<文献購読 報告者3 議題提示>


森 康俊,2008,「テレビとテレビゲームの攻撃性・暴力への影響」,橋本良明編著『メディア・コミュニケーション学』大修館書店 からの議題提示


◆テレビは視聴者の攻撃性や暴力行為に関係するのだろうか?


 研究の多くからは暴力的な映像は視聴者の攻撃性に影響するという結果が報告されている。しかし、暴力的な映像を見た分攻撃性が強まるといった“正の相関”だけが及ぼされるとは限らない。実証例こそ少ないが、暴力的映像に接することで自分の敵対的感情を解消するというカタルシス効果による“負の相関”の存在も指摘されている。


◆テレビゲームはプレイヤーの攻撃性を高めるものだろうか?


 (基本的にはある)。(加えて年齢や性別は関係ない)。


◆テレビの影響とテレビゲームの影響は何が違うのだろうか?


 。対してテレビゲームは能動的だしこういうメディア。


以上を踏まえて議題したい点は以下の二つである。


1,暴力的描写の含まれるゲームは規制されるべきか

本書では、リースマンによる「自己の形は社会に応じて変化するものである」という多元的自己の考えから、平野啓一郎による「自己とは様々な他人との関係の中ではじめて成り立つ」「関係の相手や関係の内容が変化すれば、自己も変化せざるを得ない」といったやり取りする相手によって自分の顔を使い分ける「分人」的な考えへと変化したアイデンティティ論の道筋を描き出すことを第一章で述べている。

第ニ章では、商品の重心が、「自然な」欲求の充足という機能から、他者とのコミュニケーションを媒体する記号としての消費社会へ移っていった過程で、人々が自分自身のアイデンティティを対象化する方法が変化したことを述べている。消費と自分が結びつくことで、ほんとうの自分を手軽に形成すると同時に、いかなる「ほんとうの自分」も結局は一つの虚構であるという感覚がもたらされた。

第三章では、児童・生徒の選択の幅をそれぞれの自由意志によって広げるべきではないかという提言と、それに反対する文教族との折衷案として「個性重視の原則」が採用された学校教育の場について述べている。「個性」という言葉が導入された事により「自由」の概念が個性の尊重と読み替えられる事となったり、また学校から労働市場への移行過程においても従来の就職指導の機能失調を埋める形で浸透された。

第四章では、若者のアイデンティティを語る際の欠かせない存在であるオタクの輪郭が研究者の語りの中で限りなく曖昧化するという変化が確認されている。1990年代前半にはつつましい自分の場所(=殻)を守るのに必死、コミュニケーション能力が欠如している、という点がマスメディアによってある種の誇張を受けていたが、旺盛な消費者としての再発見を機に彼らのイメージは書き換えられた。

第五章では、若者全般の主にコミュニケーションの取り方に関する変化へと向けられた大人の視線のあり方が変化していく原因について述べている。若者の人間関係がいつの時代にも「希薄化している」と語られるのは大人の側の視線のあり方が様々な事情で変化しているのと同様に若者の変化がある文脈において「希薄化」しているように見えてしまうからだと考えられる。

第六章では、1980年代以降の若者の友人関係が状況によって切り替わっていく「状況志向」的になり人間関係と自己とが表裏一体で多元化したという変化が起こったこと、その「状況志向」的な振る舞いがその場しのぎに見えたり間人主義が「仮面」のようなものを感じさせたりするため、多元化主義は希薄性へと読み替えられてしまう、と述べられている。

第七章では、進行化が進む多元的な自己に対する評価が妥当であるか否か検討して、多くの社会学者の否定的評価を用いてそこに救い出す要素を見出している。多元的な自己のあり方は経済的に生きていく事によって正の意味を持つということ、社会参加や政治参加の観点から否定するのは難しいということ、そして誠実さを出来るだけ損なわず社会を生きていくという意味では倫理的であることを説いている。

本書第二章で、自分らしさを形成する手段として以下のような提案がなされている。

すなわち消費は、自分を作ったり、表現したり、確認したりする唯一のあるいは特権的な手段であるわけではないということに注目しておきたいのである。例えば、規格化された商品を消費するよりも、自分自身の手作りのものを使う方が自分らしいし、個性的ではないだろうか。ほんとうの自分を探したり、個性的な自分を演出したりするなら、何も画一的な商品を購入するのではなく、ほんとうに自分らしいものを自分の手で作ればよいのではないか。

たしかに本書内でも挙げられている、雑誌『anan』の提供した芸能人・一部の上流階級の人々のクリスマスを真似たプランを求めた若者は「自分らしさ」を大切にしているとは到底言いにくいだろう。周りからの評価は自分のアイデンティティの確立には影響せず、むしろ評価を気にして形成された自分は虚構である、ということは本書でも述べられている。あこがれの対象をみんながみんな追い求める事にはあまり自分らしさを感じられない。

しかし、筆者の「ほんとうに自分らしいものは自分の手で作ればよい」という考えには私は同意しかねる。自分の手で作るというのは、確かに高級品を求めること、一部の階級の高い人間の行動を真似る事と比べると本来人間の持つ自然な欲求だけを充足させるための手段として最適であろう。ボードリヤールの主張するような「依存効果」は起こりにくい。しかし、「自分らしさ」が確立するかと問われれば一概にそうとも言えないのではないだろうか。

「手作り」といえば、最近DIYが一部の若い女性の間で自分の思い通りにカスタマイズできる点、自分で写真映えのする小物や家具を作れる点等がきっかけとなり、ブームになっている。工具店では女性でも扱いやすい電気工具が誕生したり、百円ショップでも材料を購入できるようになったり、と社会現象まで巻き起こしている。一見家具を手作りすることで自分の個性や趣味を表しているようだが、これも一部の人間しかできない行いを真似るというブームとは「流行っているから自分も始めてみる、お金を積んでみる」「(作った家具をSNSに投稿することによって)周りからの評価が得られる」という点では同じなのではないだろうか。

「自分らしさ」とは、自分の内にある考えや生き方を思考することであり、それを形として作り上げる事で表現することはできない、と私は考える。憧れの人間の真似をすることは「自分らしさ」を表すしているとはもちろん言い難いが、だからといって「作ることで表現できる」と言い切るのはナンセンスではないだろうか。

『「若者」とは誰か』というタイトルを見た際、「最近の若者は…」という、人生経験を積んだ大人から若者に対して何かコメントをするときの決まり文句が思い浮かんだ。確かに今の若者はゆとり世代・さとり世代と呼ばれ、問題視される傾向にある。そこで若者とは誰か、そして時代とともにどのような変化を遂げたのか、この本で知る事ができるのではないかと考えた。

筆者は「うわさ」を人と人との関係性と情報という二つの観点から捉えている。一言に「うわさ」と言ってもコミュニケーションの道具的側面と自己目的的側面を区別することがあるのである。前者は情報を伝える機能であるため内容が重視され、相手とのコミュニケーション・おしゃべり自体が目的なのが後者である。例としては前者にテレビ・新聞等マスメディアからのニュースや災害後に広まる誤報が、ゴシップ・都市伝説が後者としては挙げられる。

そして、これら二種類の「うわさ」に惑わされずに情報化が進んだ現代社会で生きていくために必要なスキルを解いている。

まず前者の情報が重視される「うわさ」ついてだが、これについては批判力が求められる。