本書はうわさの成立をアメリカの心理学者による『デマの心理学者』や社会学者による『流言と社会』等古書のうわさ論から導いている。うわさといっても単なるゴシップだけでなく、都市伝説や風評被害など様々な例を挙げ、それらがなぜ人々に好まれてきたのかを民俗学社会学などあらゆる角度から追及している。また、「うわさ」の変形である電話やメール、インターネットが流言にどのような性格を読み解いている。

第1章では、あらゆる情報とのつきあいにおいて批判力を持つことが大切だと述べている。かつて事実が歪んでいったものと定義されていたが今日では広がる事で事実が生まれる場合もる「うわさ」に誰もが惑わされ、影響を受けるためである。

第2章では、20世紀の研究者によって導かれた"「うわさ」は人々による伝達で湾曲したもの、またその過程であるため人々の潜在的な意識や感情、意見が意識せずとも浮き彫りとなっている"という道具的側面としての特色をまとめている。また、それと対象的な"情報伝達ではなく、コミュニケーション自体が目的"とされる自己目的的側面としての「うわさ」の存在も主張されている。

第3章では、「うわさ」より物語性のある「都市伝説」が起こった原因と影響を述べている。聴取者がネタを投稿することによって生まれる擬似共同感や、子供達の見えないネットワークは「都市伝説」に秘密めいたイメージを産み、マスメディア上で共有されるようになった。結果人々はそれにつきまとうある種の胡散臭さ、パターンを覚えるようになったが、過去に広まった「うわさ」や「都市伝説」の原型を知ることが、うわさ対策としては重要なのである。

第4章では、「言いたい」「つながりたい」という目的を持つ世論としての「うわさ」(俗に言うゴシップ)は情報機能、集団規範の形成・確認機能、そしてエンターテイメントの機能を兼ね備えていると述べている。また、フォークロアと対極と思われるマスメディアでは事実のみ伝えると思われがちであるが、ニュースに取り上げられることで事実として広まるうわさも存在するため、「根拠」をまとったうわさには気をつけなければならない。

第5章では、一般的には「内容」が最重要とされるメディアだが、伝えるための「形式」とメディアを切り離すことは難しく、むしろメッセージの成立そのものに関わっていると述べている。その例として、遠方の知人との親密化が期待された電話がむしろ近くの知人との連絡に使われたり、人間関係の広まりとして捕らえられたケータイ電話が部分的なコミュニティを形成したことが挙げられている。

第6章では、情報の曖昧さに対する「耐性」がうわさや風評被害への対策として必要だと述べている。今現在、メディアは単なる便利な道具ではない。人と人との関係性のあり方も変化させている。我々にはさまざまな情報に継続に接触することで得られる想像力が、メディアには正確な情報を必要に応じて提供することで得られる信頼感が必要とされている。

以上の6章を通し、筆者は「うわさ」とは情報であると同時に事実性を超えたものがたりでもあると伝えている。うわさは人と人とのつながりを結ぶ。我々は人との関係性を重視し、社会問題をわがこととして受け止めることで想像力、批判力等「うわさ」に対する「耐性」が身につくのである。