ツイッターをはじめとするSNSで日本人が非行、犯罪行為をする様子を投稿し炎上した現象、バカッター。この現象について筆者である松田美佐氏は本書第6章でこのように述べている。


このような一連の騒動の原因として、しばしば指摘されるのは次の2点である。(中略)もう一つは仲間内で注目を集めたいという気持ちである。(中略)やりとりが可視化され、記録に残るツイッターフェイスブック上では、エスカレートしやすい。なぜなら、面白い書き込みをすればするほど、多くのコメントが寄せられ、ツイッターならリツイートフェイスブックならシェアといったかたちで広められるからだ。ツイッターフェイスブック上では自分に対する評価が見えるのである。p216,222


すなわち筆者は、インターネット上では他人からの評価が可視化されるため、より面白いこと、目立つことをしようと人々の行動を加速されると本書で述べている。たしかにツイッターインスタグラムのいいね、ユーチューブでの高評価は人を嫌な気持ちにはさせない。過激な行動をエスカレートさせていることは間違いないだろう。実際、3年前にユーチューブ上にスーパーの店頭に並ぶお菓子に爪楊枝を差し込む動画を投稿した少年を取り扱うニュースでは多くのコメンテーター達が「ユーチューブの再生回数、チャンネル登録者(フォロワー)数が増えるにつれ、犯人の承認欲求が高まっている」と考察していた。

しかし私は、インターネットが人々の迷惑行為を加速させているのではないのではないかと思う。元々物事の善悪の区別がつかないような人々にとって、インターネットが彼らの判断力のなさを発信する道具となっているだけなのではないだろうか。

当たり前だが、今までバカッターと呼ばれるような迷惑行為が目立たなかったのは、ツイッターフェイスブックなど一般人が世界に向けて情報を発信する場がなかったからだろう。

そのため筆者が本書で述べていた本書で筆者が述べていた"被害を受けたのは自分だったかもしれない"と置き換える想像力ではなく、周りに見せたい自分を構成する情報として正しいものか否かを判断する、より単純な想像力がインターネット上では必要だと考えられる。

情報の発信手が編集者やタレント、コメンテーター等一部の人々に限られていた一方通行のマスメディアであるテレビ・新聞が主であった時代と違い、今やインターネット環境を持つ誰もが情報の発信手である。いいね機能や可視化が目立ちたいという欲を掻き立てているのもあるが、ネット社会で生きるため、そしてテレビ・新聞と違い玉石混交な情報が散乱するインターネット上でうわさに惑わされないためにも、批判力や耐性よりも先にネットリテラシー、すなわち判断力を身につけるべきではないだろうか。