本書第二章で、自分らしさを形成する手段として以下のような提案がなされている。

すなわち消費は、自分を作ったり、表現したり、確認したりする唯一のあるいは特権的な手段であるわけではないということに注目しておきたいのである。例えば、規格化された商品を消費するよりも、自分自身の手作りのものを使う方が自分らしいし、個性的ではないだろうか。ほんとうの自分を探したり、個性的な自分を演出したりするなら、何も画一的な商品を購入するのではなく、ほんとうに自分らしいものを自分の手で作ればよいのではないか。

たしかに本書内でも挙げられている、雑誌『anan』の提供した芸能人・一部の上流階級の人々のクリスマスを真似たプランを求めた若者は「自分らしさ」を大切にしているとは到底言いにくいだろう。周りからの評価は自分のアイデンティティの確立には影響せず、むしろ評価を気にして形成された自分は虚構である、ということは本書でも述べられている。あこがれの対象をみんながみんな追い求める事にはあまり自分らしさを感じられない。

しかし、筆者の「ほんとうに自分らしいものは自分の手で作ればよい」という考えには私は同意しかねる。自分の手で作るというのは、確かに高級品を求めること、一部の階級の高い人間の行動を真似る事と比べると本来人間の持つ自然な欲求だけを充足させるための手段として最適であろう。ボードリヤールの主張するような「依存効果」は起こりにくい。しかし、「自分らしさ」が確立するかと問われれば一概にそうとも言えないのではないだろうか。

「手作り」といえば、最近DIYが一部の若い女性の間で自分の思い通りにカスタマイズできる点、自分で写真映えのする小物や家具を作れる点等がきっかけとなり、ブームになっている。工具店では女性でも扱いやすい電気工具が誕生したり、百円ショップでも材料を購入できるようになったり、と社会現象まで巻き起こしている。一見家具を手作りすることで自分の個性や趣味を表しているようだが、これも一部の人間しかできない行いを真似るというブームとは「流行っているから自分も始めてみる、お金を積んでみる」「(作った家具をSNSに投稿することによって)周りからの評価が得られる」という点では同じなのではないだろうか。

「自分らしさ」とは、自分の内にある考えや生き方を思考することであり、それを形として作り上げる事で表現することはできない、と私は考える。憧れの人間の真似をすることは「自分らしさ」を表すしているとはもちろん言い難いが、だからといって「作ることで表現できる」と言い切るのはナンセンスではないだろうか。